*肝付兼善 ➡ カルネル・ヨシフ・キモツキー(Carnell・Iosif・Kimotsky)

 '23/02/02

 

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*肝付兼善:肝付 兼善(きもつき かねよし)は、江戸時代後期の薩摩藩士。肝付氏の庶流・喜入肝付家第10代当主。父は肝付兼般。

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#肝付兼善

カルネル・ヨシフ・キモツキー(Carnell・Iosif・Kimotsky):1802年トランシルヴァニアのサトゥ・マーレで、ロシア人の父とハンガリー人の母の間に生まれた。10歳の時、ロシア帝国軍人であった父の背を追ってバルカン半島へと赴き、ロシア陣営として露土戦争に参加しオスマン帝国と戦った。

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【無修正版】

&肝付兼善

カルネル・ヨシフ・キモツキー(Carnell・Iosif・Kimotsky):1802年当時、ハプスブルク帝国に併呑されていたハンガリー王国トランシルヴァニア地方のサトゥ・マーレで、ロシア帝国軍人の父『コルネーイ・トゥーラ・キモツキー(Корней・Тула・Кимоцкий)』と、ハンガリー人であり貴族令嬢の母『トミュリス(Tomyris)』の間に長男として生まれた。

10歳の時、ロシア帝国軍属の外交使節であった父の背を追ってバルカン半島へと赴き、ロシア陣営の民兵として露土戦争に参加しオスマン帝国と戦った。

因みに、カルネル・ヨシフ・キモツキーのロシア語での表記は「Карнелл・Иóсиф・Кимоцкий」となる。

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【元ネタばらし】

●カルネル・ヨシフ・キモツキー(Carnell・Iosif・Kimotsky):『肝付兼善』より。

[カルネル・ヨシフ]は、『兼善』から。「兼ねる」から、語感が似ている「カルネル」とし、「善し」から、語感が似ている「ヨシフ」とした。

[キモツキー]は、『肝付』と、実在するロシア語圏の名字『カモツキー(Kamotsky:Камоцкий)』より。

*名前はハンガリー語読み、且つ、全体的にロシア人っぽく纏めてみた。

1802年肝付兼善が生まれた年『1802年』より。

◆サトゥ・マーレ:1802年当時、ハプスブルク帝国に併呑されていたハンガリー王国の領土であった。

●サトゥ・マーレ:肝付兼善が所属していた『薩摩藩』より。

■コルネーイ・トゥーラ・キモツキー(Корней・Тула・Кимоцкий):ロシア帝国軍属のハンガリー王国駐在ロシア外交使節

彼の正体は、激動の渦中にあったヨーロッパで、覇道を征くフランスと、それに相対するハプスブルク帝国の動向を探るために、ロシア帝国によってハンガリー王国に派遣された諜報員である。

サトゥ・マーレに常駐し、フランスの主権者として台頭していたナポレオンの思惑を測っていたが、次第に、情勢不穏なオスマン帝国支配下にあって、火花が散り始めつつあったバルカン半島へとベクトルを向けるようになり、水面下でセルビアを刺激し扇動する任に就くこととなった。

露土戦争終結後、本来の目的であるフランスに対する諜報活動を再開するものの、奇しくもナポレオン1世率いる『西欧大陸軍』によるロシア遠征と邂逅し、その後の消息は不明となる。

●コルネーイ・トゥーラ・キモツキー(Корней・Тула・Кимоцкий):肝付兼善の父『肝付兼般(きもつきかねつら)』より。

[コルネーイ・トゥーラ]は、『兼般』から。「兼ねる」から、語感が似ている「コルネーイ」とし、「般(つら)」から、語感が似ている「トゥーラ」とした。

[キモツキー]は、『肝付』と、実在するロシア語圏の名字『カモツキー(Kamotsky:Камоцкий)』より。

*全体的にロシア人っぽく纏めてみた。

■トミュリス(Tomyris):ハンガリー王国の実質の支配者であった、ハプスブルク家の外縁に当たるトランシルヴァニア公の血統に連なる貴族令嬢。

●トミュリス(Tomyris):島津斉興の娘であり、肝付兼善の妻『於富(おとみ)』より。

●長男:肝付兼善が『喜入肝付家第10代当主』であることから。

●10歳:肝付兼善が『喜入肝付家第10代当主』であることから。

バルカン半島露土戦争の主戦場。

露土戦争:歴史上、幾度となく起こった、ロシア帝国オスマン帝国間の戦争。ここでは、1806年から1812年までの、ブカレスト条約で講和したものを指す。

 

 

*カテゴリ:人物/

*参考:ウィキペディア/Reichs_archiv_~世界帝王事典~>ロシア語男性名リスト/webio辞典>外国人名読み方字典/

*各方面にて敬称略/

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