*風間道太郎 ➡ 風魔・馗太郎(ふうま・きたろう)

 '23/03/08

 

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:風間 道太郎(かざま みちたろう、1901年6月6日 - 1988年8月25日)は、日本の平和運動家、伝記作家。

東京出身。第一高等学校、1928年東京帝国大学法学部法律学科卒業。太陽生命保険株式会社、谷村製鉄鉄工所、東京商工会議所大政翼賛会、長野県鉄商工経済会などで勤めた。戦時中は大政翼賛会文化部副部長を務めるが、ほどなく退き農村生活を送る。戦後は、世界画報社や志摩書房の編集者、日本学園高等学校教諭などを歴任した。

大学で尾崎秀実と親しく、1946年尾崎の『愛情はふる星のごとく』を出版。新日本文学会に属し、平和運動家として活動しつつ、伝記などを書いた。

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#風間道太郎

風魔・馗太郎(ふうま・きたろう):

社会の闇に暗躍する忍者集団『武蔵風魔一族』の末裔。武蔵帝国大学忍法学部忍法律学科を卒業したのち様々な企業に勤め、首都圏を転々としながら諜報活動を行っていた。戦時中は、農村に隠遁しつつ諜報結社『大忍翼賛会』を結成し、その副部長を務めた。

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【無修正版】

&風間道太郎

風魔・馗太郎(ふうま・きたろう):

戦国時代から「忍」を踏襲する職能集団『武蔵風魔一族(むさしふうまいちぞく)』の末裔であり、現代の社会の闇に暗躍する『公安忍者』。

武蔵帝国大学忍法学部忍法律学を卒業したのち、様々な企業に勤め、首都圏を転々としながら諜報活動を行っていた。

戦時中は、農村に隠遁しつつ、公安直属の諜報結社『大忍翼賛会(たいにんよくさんかい)』に所属し、その副部長を務めた。

因みに、座右の銘は「忍情はふる槍のごとく」である。

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【元ネタばらし】

●風魔・馗太郎(ふうま・きたろう):『風間道太郎』より。

*『風間』から、[風魔]を連想し…

*『道』から、字面の似た[馗]を導き出した。

●武蔵風魔一族(むさしふうまいちぞく):戦国時代、後北条氏に仕えた『風魔忍者』より。

*[武蔵]は、風間道太郎の出身地である東京都の旧国名武蔵国』から。

■公安忍者:警視庁公安部の一部門「公安第六課」、及び、「外事第六課」の通称。

*その捜査手法は、非合法な盗聴や盗撮に始まり、無断接収や拉致監禁などの強硬手段も辞さず、場合によっては粛清を処するといった超法規的捜査を旨としている。

*構成員には、忍者の末裔である者が少なからず見られる。

●公安忍者:風間道太郎が副部長を務めた大政翼賛会が『政治結社』であることから。

*「忍者警察」というワードに、何かしらのロマンを感じ、そこから展開した。

●武蔵帝国大学忍法学部忍法律学科:風間道太郎が卒業した『東京帝国大学法学部法律学科』より。

*[武蔵]は、東京都の旧国名武蔵国』から。

*[忍法学部忍法律学科]は、『法学部法律学科』に「忍」を絡めてみた。

●卒業したのち、様々な企業に勤め、首都圏を転々/戦時中は、農村に隠遁:『風間道太郎の履歴』より。

風間道太郎は、東京帝国大学法学部法律学卒業後、首都圏でいくつもの企業に勤めていた。

風間道太郎は、戦時中、農村生活を送っていた。

●大忍翼賛会(たいにんよくさんかい):風間道太郎が副部長を務めた『大政翼賛会(たいせいよくさんかい)』より。

大政翼賛会の『政』が政治結社であることを表しているように、忍者結社であることを表す文言として[忍]を連想した。

●忍情はふる槍のごとく:風間道太郎が出版した、尾崎秀実著『愛情はふる星のごとく』より。

*『愛情』から、『忍情』を連想し…

*『ふる星』から、「雨が降ろうが、槍が降ろうが」の慣用句を連想し[ふる槍]とした。

 

 

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▶各方面にて敬称略/

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