*1070年代 ➡ 舌切支御剣(したきりさやのぎょけん)

 '23/03/24

 

ウィキペディア版】

:1070年代(せんななじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1070年から1079年までの10年間を指す十年紀。

-----------------------------------------------------------------------------------------

Twitter版】

#1070年代

舌切支御剣(したきりさやのぎょけん):

1045年、皇太弟となった尊仁(たかひと)親王相伝されるはずであった御由緒物の刀剣。

内大臣の『藤原・彼凄(ふじわらの・かのすさ)』が、継承権を得た親王より収奪した。

その後、彼凄は失脚し発言力を失ったことから、この剣は「舌切」と呼ばれた。

-----------------------------------------------------------------------------------------

【無修正版】

&1070年代

舌切支御剣(したきりさやのぎょけん):

1045年、皇太弟となった尊仁親王(たかひとしんのう)相伝されるはずであった御由緒物である刀剣。

元来『千七支御剣(せんのななつさやのぎょけん)』と呼ばれていたが、以下の出来事により「舌切支御剣」の別称を得た。

藤原北家の遠縁も遠縁であった尊仁親王を疎んじていた、時の内大臣『藤原・彼凄(ふじわらの・かのすさ)』は、異母兄である藤原頼道(ふじわらのよりみち)の権威を笠に着て、親王の即位を阻止すべく、ガリとも言える御剣を収奪した。

しかし、彼凄の思惑をよそに、尊仁親王は、後三条天皇(ごさんじょうてんのう)へと即位した。

その折に、彼凄は失脚し発言力を失ったことから、この剣は曰く付きの御物とされ、畏敬の念を込めて「舌切支御剣」と呼ばれるようになった。

-----------------------------------------------------------------------------------------

【元ネタばらし】

●舌切支御剣(したきりさやのぎょけん):『1070年代』の諸々の歴史的イベントのうち、1073年6月15日に崩御した後三条天皇が、即位するまで献上されなかった刀剣『壺切御剣』より。

*『1070』を漢字に変換し、『千・七・十』とし、それらを構成要素に持つ漢字[舌・切・支]を導き出し…

*それに、皇位継承者に相伝される護り刀である『御剣』をくっ付けた。

●1045年:後三条天皇が即位する23年前である『1045年』より。

後三条天皇が、1068年に即位するまでの23年間、皇位継承の証の一つである壺切御剣が献上されなかった故事から。

尊仁親王(たかひとしんのう):第71代天皇である後三条天皇の即位前の諱。

*実母が藤原氏ではなかったため、太政大臣藤原頼道(ふじわらのよりみち)らに疎まれていた。

◆御由緒物(ごゆいしょぶつ):皇位と共に相伝される由緒ある宝物。

●千七支御剣(せんのななつさやのぎょけん):『1070年代』より。

*『1070』を漢字に変換し、『千・七・十』とし、その内「十」を構成要素に持つ漢字[支]を導き出し…

*それを、日本書紀にも言及されている、国宝の『七支刀』に絡めて創造した。

内大臣左大臣の下の、右大臣の下に該当する官職。

●藤原・彼凄(ふじわらの・かのすさ):『1070年代』の諸々の歴史的イベントのうち、1077年に起こった『カノッサの屈辱』より。

*『カノッサ』から、語韻を寄せて[彼凄(かのすさ)]を創造し、それに、[藤原]姓を当てがった。

●異母兄である藤原頼道(ふじわらのよりみち):藤原頼道が、藤原能信(ふじわらのよしのぶ)の『異母兄』であることから。

藤原能信(ふじわらのよしのぶ):頼道と対立して尊仁親王の後ろ盾となり、後三条天皇への即位に貢献した。

◆レガリア:王権の象徴であり、君主の正統性を証明する物品。

◆御物(ぎょぶつ):天皇の私物。

 

 

▲カテゴリ:ガジェット/

▲参考:ウィキペディア

*名刀幻想辞典>御由緒物/

*BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)>官職と二官八省がわかる!_日本史全体が楽しくなる基礎知識まとめ/

▲各方面にて敬称略/

================================================