*ジョン・ロバートソン ➡ イオアンニスロバ(Ioannis_Donkey)

 '23/05/01

 

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:ジョン・ロバートソン(John Neilson Robertson、1953年1月20日 - )は、スコットランド・ラナークシャー出身の元サッカー選手で指導者。現役時代のポジションはウインガースコットランド代表。

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#ジョン・ロバートソン

イオアンニスロバ(Ioannis_Donkey):

2006年にトルコのアンタキヤにて再発見された、1927年に絶滅したとされるシリアノロバの亜種。

現生のロバよりも大型で体力があり、より過酷な環境においても生存が可能だが、気性は非常に荒く、野生の捕食者を寄せつけない獰猛さを具える。

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【無修正版】

&ジョン・ロバートソン

イオアンニスロバ(Ioannis_Donkey):

2006年にトルコのアンタキヤにて再発見された、1927年に絶滅したとされるシリアノロの亜種。

現生種のロバよりも大型で体力があり、より過酷な環境においても生存が可能だが、気性は非常に荒く、野生の捕食者を寄せつけない獰猛さを具える。

学名は、発見地である古都アンティオキアに因んで『Equus_hemionus_antiochinus_Robertson,_2006(エークゥス・ヘミオヌス・アンティオキヌス)』と名付けられた。

イオアンニスロバの語源は、1097年10月21日から1098年6月2日にかけて行われた、第1回十字軍遠征によるアンティオキア攻囲戦にて、ムスリムの捕虜となった、正教会アンティオキア総主教「イオアンニス7世」の救出劇に由来する。

戦局が膠着したままで迎えた1097年の冬、兵站が破綻し物資不足に見舞われた十字軍は、軍馬をも糧食にせざるを得ないほどの飢餓の状況に陥っていた。

兵士や軍馬が次々と倒れていき、十字軍の間に絶望感が漂う中、それを遠巻きに眺めている野生のロバの力強さに勇気づけられ、彼らの士気は何とか保たれていた。

やがて、一縷の望みで仕掛けた計略が功を奏し、アンティオキア潜入に成功した十字軍は、アンティオキアの象徴であるイオアンニス7世の救出を最優先に動く。

辛くも、イオアンニス7世接触するが、彼の衰弱は著しく歩くこともままならない状態であった。

しかし、どこからともなく一頭のロバが現れ、重篤イオアンニス7世を背に乗せアンティオキアを脱出したとの記録が、当時の文献に残されている。

この逸話に準えて、エークゥス・ヘミオヌス・アンティオキヌスは「イオアンニスロバ」との通称で呼ばれるようになった。

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【元ネタばらし】

●イオアンニスロバ(Ioannis_Donkey):『ジョン・ロバートソン』より。

*[イオアンニス(Ioannis)]は、ジョンギリシャ語での表記『Ιωάννης(イオアンニス)』から。

*[ロバ]は、『ロバートソン』から。

●2006年/2006:ジョン・ロバートソンが、スコットランドサッカーの殿堂に殿堂入りした年である『2006年』より。

◆トルコのアンタキヤ:かつて、アンティオキア攻囲戦の舞台となった城郭都市アンティオキア

セレウコス朝の祖セレウコス1世が興したシリア王国の首都であり、シルクロードの出発点として発展した。

●1927年:乱獲と第一次世界大戦の煽りで、シリアノロが絶滅した年『1927年』より。

◆シリアノロバ:1927年に人の手によって絶滅したという、アラビア半島周辺に生息していたアジアノロの亜種。

*現生種よりも体格が良く、馬よりも早く走り、尚、エチオピアの野生種との交配種は気性が荒いとされる。

シリアノロの最後の野生種はヨルダンのアズラックオアシス付近で射殺され、最後の捕獲種はウィーンのシェーンブルン動物園で死亡した。

●大型で体力があり/気性は非常に荒く:『シリアノロバの特徴』より。

*紀元前19000年前のメソポタミア文明の遺跡から発掘されたシリアノロの骨は、現生種のそれよりも大きかったという。

シリアノロのオスと、エチオピアの野生種のメスとの交配種は、凶暴で飼い慣らされていないとの記録がある。

Equus_hemionus_antiochinus_Robertson,_2006(エークゥス・ヘミオヌス・アンティオキヌス):シリアノロの学名『Equus_hemionus_hemippus_I.Geoffroy,』より。

*[antiochinus(アンティオキヌス)]は、『アンティオキア』を、学名っぽくラテン語風にしたもの。

*[Robertson]は、ジョン・ロバートソンの『ロバートソン』から。

◆第1回十字軍遠征によるアンティオキア攻囲戦:1097年10月21日から1098年6月2日にかけての間、当時のシリア地方にて、ローマ教皇十字軍セルジューク朝ムスリムとの間で行われた、城郭都市アンティオキアの領有権の巡る争い。

ムスリムによって奪われたアンティオキアを、ブイヨンボエモンレーモン率いる第1回十字軍が奪還した。

正教会アンティオキア総主教イオアンニス7世:ギリシャ正教総主教座としてアンティオキア教区に君臨していたが、アンティオキアを攻略したセルジューク朝の司令官ヤギ・シヤーンによって捕虜とされた。

 

 

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▶参考:ウィキペディア

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