*ドミトリー・トゥルスノフ ➡ 富取・鶴忍(とみとり・つるしのぶ)

 '23/07/14

 

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:ドミトリー・イーガリヴィッチ・トゥルスノフ(ロシア語ラテン翻字: Dmitry Igorevich Tursunov, ロシア語: Дми́трий И́горевич Турсу́нов, 1982年12月12日 - )は、ロシア・モスクワ出身の男子プロテニス選手。これまでにATPツアーでシングルス7勝、ダブルス6勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス20位、ダブルス36位。身長185cm、体重82kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

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#ドミトリー・トゥルスノフ

富取・鶴忍(とみとり・つるしのぶ):

明治期の外交官。

1882年、明治政府の意向を受け駐露公使となり、モスクワへと渡った。

その後、10余年に及ぶロシアでの実績を買われ、1905年、『飯郡・邦鎮(いいごり・くにちん)』らと共に、ポーツマス条約締結使節団に任命される。

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【無修正版】

&ドミトリー・トゥルスノフ

富取・鶴忍(とみとり・つるしのぶ):

明治期の外交官。

1882年、明治政府の意向を受け駐露公使となり、モスクワへと渡った。

その後、10余年に及ぶロシアでの経験と実績を買われ、1905年、『飯郡・邦鎮(いいごり・くにちん)』、『猪狩・備一(いがり・びいち)』らと共に、ポーツマス条約締結を目的とした小村使節団(こむら_しせつ-だん)の一員に任命される。

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【元ネタばらし】

●富取・鶴忍(とみとり・つるしのぶ):『ドミトリー・トゥルスノフ』より。

*『ドミトリー・トゥルスノフ』の語韻から、それらしい響きの漢字を当て嵌めて[富取・鶴忍(とみとり・つるしのぶ)]を導き出した。

●1882年:ドミトリー・トゥルスノフの『誕生年』より。

ドミトリー・トゥルスノフの誕生した年『1982年』から、時代背景を鑑み、100年引いて[1882年]とした。

◆駐露公使(ちゅうろ-こうし):ロシアに常駐する外交使節

公使とは、大使に次ぐ役職であり、外交使節団の一員として大使の下で活動する外交官である。

●モスクワ:ドミトリー・トゥルスノフの『出身地』より。

ドミトリー・トゥルスノフが、ロシアの『モスクワ』出身であることから。

●1905年:ポーツマス条約が締結された年である『1905年』より。

*日本とロシアとの関連を考えた時、まず「日露戦争」を思い浮かべ、そこから『ポーツマス条約』を連想した結果。

●飯郡・邦鎮(いいごり・くにちん):2008年の全仏オープン男子ダブルスにおいて、ドミトリー・トゥルスノフとパートナーを組んだ『イーゴリ・クニツィン』より。

*『イーゴリ・クニツィン』の語韻から、それらしい響きの漢字を当て嵌めて[飯郡・邦鎮(いいごり・くにちん)]とした。

●猪狩・備一(いがり・びいち):ドミトリー・トゥルスノフの『ミドルネーム』より。

ドミトリー・トゥルスノフのミドルネームである『イーガリヴィッチ』の語韻から、それらしい響きの漢字を当て嵌めて[猪狩・備一(いがり・びいち)]とした。

ポーツマス条約:1905年9月5日に調印、締結され、同年11月25日に発効した、日露戦争の戦後処理の一環とする講和条約

◆小村使節団(こむら_しせつ-だん):外務大臣の経歴を持つ小村寿太郎(こむら・じゅたろう)が全権を委任され、団長として率いた外交使節団。

 

 

▶カテゴリ:人物/

▶参考:ウィキペディア

┣*外交官/

┣*日露関係史/

┣*日露関係/

┣*ポーツマス条約/

┣*小村壽太郎/

┣*小村外交/

┣*松方正義

┗*岩倉使節団

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*goo辞書>国語辞書>社会>政治>公使(こうし)/

▶各方面に敬称略/

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